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御囲章木版画展ー「抗う同士」 [アート]

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私にとってこの作品は妙に心にひっかかる。
好きとか嫌いとか良いとか悪いとかではなく、ふと目をやってしまうのがこの作品なのだ。

なぜこんなにひっかかってくるのか、8日目の今日になっても見えてこない。

「抗う同士」
何と何が抗うのか?

御囲さんに聞いてみたのだけど、彼自身答えが見つからないようなのだ。
ただ、答えの見つからない状態のこの作品も今の自分だから出品したとのこと。
そうか、自身の中でも解決していない事ってあるよね。

彼は正直な人だ。
わからないことはわからないで、だけど自分である事は間違いないと言うのだから。

いつかその答えを見つけて、腑に落ちる日も来るのだろう。
それは明日かもしれないし、10年後かもしれない。
そういう日がきたら教えてほしいと頼んでみた。
教えてくれてもそれを忘れてしまっているかもしれない、覚えている自信もないのに。

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御囲章木版画展ー「ここまでの道程」 [アート]

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御囲さんにとって今回の作品の中で一番納得のいっている作品はどれか聞いてみました。
この「ここまでの道程」だとのことでした。

まずはグリーン系の色遣い。
植物モチーフか描き続けているのでグリーンというのはいかにもストレート過ぎるとの思いから今まで使えない色だった。色との格闘の末今回はやっとグリーンの封印を解いたのだと。それだけに単純にグリーンを版木に載せたのではない。隠し味的な他の色の効果も確信した。他の色とのバランスも取れるようになった。

この作品が納得作というのには色だけではなく、構図も成功していると言います。
構図というのはここがこうなっているからと言葉での説明は難しい。
これは感じ取っていただくしか無い。

もちろん彼の中にまだまだだなと思う部分もありこれが自己採点100点満点とはいかないのだそうだ。
グリーンの工夫の余地があると思っているし、構図だって本当にこれがベストかどうか自問自答すればノーなのです。もっと進化できる自分を信じている。

色1つとってもグリーンという色が増えた。それを表現の幅を広げたと言います。それは単に色数が増えたということではない。色との格闘の末自分らしいグリーンの使い方を見つけた、そう自分らしいと思えるようにならなければ広げたと言えない。

次はどこに広がっていくのか楽しみですね。

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御囲章木版画展ー「残る者へ残す事」 [アート]

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今回の個展で一番大きな作品がこれです。大作です。
   920×600㎜

この密度で版画を彫るのは物理的にかなりエネルギーがいる事なのだと思います。
作品そのものにエネルギーをかけざるを得ない何かが作家の中にあるという事でもあります。
単純に大きさとエネルギーに関係があるとは言いませんが、さらっと軽い気持ちでないことは間違いありません。

それにしても御囲さんの場合小さな作品も大きな作品も面や線の密度に違いがないのも特徴の1つだと思います。これには彫刻刀の幅の問題があるとか。その幅には太いのや細いのもあるのだそうですが、画面が5倍になれば5倍の幅の彫刻刀があるかと言うとそうではない。そこまでの差は無いのだから大きな画面だと緻密にならざるを得ないということなのです。

さあこの「残る者へ残す」
膨大なエネルギーを注いでどんな思いを込めているのだろうか。
彼のプライベートな事情を書くと、ここ数年で大切な家族との別れを何度か経験しました。その気持ちを整理するのに言葉では表せないものを納得できないものを作品を制作する事で昇華する・・・。

「輪廻転生」と簡単に言う事ができない何かを作品に込める。
「言葉にできるのだったら作品にする必要はない。」とも。

「この心の問題を言葉で表すと何だかちょっと違うような軽いような、とにかく説明はできない。ただ思いの深いときは大きな作品で自身が格闘する。それしか方法は無い。」と。

大きな作品は物理的に手数もかかるし、緻密な計算のもとに制作を進めなければならないのです。
だからそれなりの覚悟無くしては取りかかる事すらできない。その覚悟と思いの深さは正比例する。

で、出来上がったらだいたいはがっかりするのだそうです。そういうことじゃないって。

「今度こそちゃんと表現できるようにって、また作品つくってしまうんですよね。」と本人の弁。

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御囲章木版画展ー「忘れていくこと」 [アート]

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今日の話題は御囲章さんの「目」の話です。

彼は生まれた時から弱視です。つまり視力があまりないということです。眼鏡で矯正しても0.01くらいだと言います。私弱視ではありませんので眼鏡をかければ正常視力ですが、裸眼で0.02くらいなので彼の見え方がどんななのかわかります。
世の中はぼんやり色で分かれていて、よっぽど目の近くに物を持ってこないと物のエッジを見る事は無い。この事実を彼の作品世界と切り離す事はできません。

小さいときからモコモコしたものにとても興味があったそうですが、物にエッジが無い世界とは秋の雲にも似た曖昧なモコモコに近い。そんな視覚の世界で生きてきたことは彼の個性です。彼の作品にはエッジはあります。でもその個性的な「目」で見て来たからこそのエッジ。彼の個性的な視覚世界から彼の作品は生まれて来た。

版木を彫る時、手の感覚で掘り進めると言います。触覚で描く。「手でだいたいどんな風に彫れているかわかる」と。御囲章の手は「目」でもあります。

実は物の見え方はみんな同じではありません。どう見えているのか微妙な違いをそれぞれが説明できるわけではないので気付かないでいるだけ。「物」は「目」を通して見ているのでその違いだけでも世界観は変わるはずです。ましてや触覚も視覚にしている御囲さんなのだから個性的な世界観が生まれるのは当然と言えば当然なのだと思う。


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